暴れ獅子は、江戸時代末期、宿場町として栄えていた大胡宿に疫病が流行った時に天王様(牛頭天王)と暴れ獅子が、病を鎮めるために、町中を練り歩くようになったのが、始まりとされています。
 牛頭天王は、八坂神社の祭神で、疾病を防ぐ神であり、神道におけるスサノオ神と同体とされています。医療技術が乏しい時代に、疾病を防ぐ強い力を持つ牛頭天王に対する仰は、かなり大きかったと思われます。牛頭天王は、単に「天王」と呼ばれました。
 また、獅子は一般に、悪魔祓い・疫病退散の役割を担うことが多いが、これが牛頭天王と同一視され、大胡祇園まつりにおいては、単に獅子舞ではなく、神輿のような大きく威勢のよい「暴れ獅子」になったのかも知れません。
 現在、暴れ獅子に関する資料等は、ほとんど無く、口伝えの伝承と大正時代?からの写真が、青年会に残っているだけです。
(現在使われている獅子)
大正時代(?)の獅子
昭和23年の獅子
昭和52年の獅子
昭和61年の獅子
昭和55年の獅子製作の様子
暴 れ 獅 子 の 歴 史
 八坂神社祭は、毎年7月27・28日に行われていました。
 初日は、大胡神社から御神体を天王様(御神輿)に移す「神迎え」が行われます。自治会・青年会の代表が、大胡神社に出向き、清払いをした後、御神体を八坂神社にある天王様(御神輿)まで運び、魂を入れます。
 二日目の午前中は、天王様の渡御です。神馬を先頭に、猿田彦(天狗)、大榊、担ぎ太鼓、天王様(御神輿)、神主が、町中を「おいさ、おいさ」の掛け声とともに渡御します。
 午後は、いよいよ暴れ獅子です。天王様の時の静かな渡御とは違い、町中を暴れ回り、厄除けをして練り歩いて行きます。
 本来は、天王様が本祭りで、暴れ獅子が付け祭りなのですが、現在は、暴れ獅子の方がメインになっています。
 現在は、7月の最終土・日に行われるようになりました。
枠組みに布を張ります。
表面に新聞紙を張り、
その上から米袋を張り
下地の完成です。
紅殻を塗り獅子の完成です。
獅子の骨組みです。
骨組みに藁を使って肉付けをして行きます。